アメリカ・テネシー州にあるケーシー・マギーの家の寝室には、妻と婚約したときの写真があり、そのとなりに1本の豪華な腕時計が飾られている。マギーはブランド品に興味がなく、普段はTシャツ、ジーンズ姿で過ごすことがほとんどだ。だから、この時計をもらったとき、マギーはどこのブランドなのかもわからなかった。

【写真】プロ野球「新外国人全員診断」セ・リーグ編。あの選手はタイトル候補?

 しかしこの時計は、金額はもとより、マギーにとって忘れることのできない”一生の宝物”なのである。

 文字盤には日本国旗の日の丸を思わせる赤い石の装飾が施されており、その下に「77」と記され、裏面にはマギーの名前が彫られている。その時計を見るたび、マギーはあの激闘を思い出すのだった。

 マギーが”一生の宝物”というこの時計は、2013年に巨人との日本シリーズを制し、球団創設初の日本一になったあと、当時背番号77を着けていた星野仙一監督(故人)から贈られたものだ。

「本当に感動しました。日本シリーズが始まる前、なんとしても星野監督を日本一にしようとA・J(アンドリュー・ジョーンズ)と話していました。その思いが、日本シリーズを戦うモチベーションになりました。おそらく我々の思いは星野監督に届いていたと思います。私にとっても初めての優勝でしたが、それ以上に星野監督を日本一にさせることができて、本当に幸せでした」

 その時計には日本一になったことだけではなく、もうひとつの思い出があるとマギーは言う。

「自分のキャリアのなかで、こんなに選手と監督との信頼関係が素晴らしい1年はありませんでした。星野監督は我々を受け入れてくれて、ただの助っ人じゃなくて本当の意味で楽天の一員として戦うことができた。私にとって、それは何よりも嬉しいことであり、意味のあることでした」

 ただ、時計を受け取ってから長い間、マギーは星野監督と会う機会がなかった。なぜなら、2013年の活躍が評価され、その翌年、再びメジャーに戻ることになったからだ。

 しかし昨年、巨人と契約したマギーは、春のキャンプで星野氏と再会を果たした。マギーは「正直、緊張していました」と言って、こう続けた。

「星野さんにとって巨人は生涯のライバル。そのチームと私が契約したことで、星野さんは怒っているんじゃないかと……」

 もちろん、怒っているはずもなく、会えばなごやかな雰囲気となったが、実はマギーは本当に星野監督を恐れていたときがあった。それは楽天と契約し、A・J、斎藤隆とともに仙台で会見を開いたときのことだ。そのときマギーは「この契約は失敗だったかも……」と思ったと言う。そのきっかけとなったのは、星野監督と会うのに斎藤隆がすごく緊張していたからだった。

「斎藤さんは日本でも実績があるし、メジャーでも成功した選手です。当然、星野監督がいる部屋に真っ先に入るものだと思っていました。そしたら斎藤さんが『先に入って』と、緊張した表情で僕らに言ってくるんです。『なぜ?』と思ったと同時に、星野監督ってどれだけ怖い人だろうと……。

 実際に会うと、オーラはすごかったけど、ビジネスライクだったから、そのときは何も思いませんでした。ただホテルに戻り、インターネットや動画で検索すると、とんでもない人だと(笑)。審判に殴りかかろうとしたり、相手選手に激怒したり……。とにかく迫力のある映像ばかりで、なぜこんな人が私をチームに呼んだんだと……不安しかありませんでした」

 それでも、マギーの不安はすぐに解消された。春季キャンプ初日、選手たちは特別のランニングメニューが組まれていた。マギーもそのメニューを消化しようとすると、誰かがマギーの肩に手を置いた。慌てて振り返ると、星野監督が立っていて、マギーとA・Jにこう言った。

「自分の判断で、もう十分に走ったと思ったら、それ以上はしなくていいぞ」

 そしてマギーには、もうひとつ忘れられない瞬間がある。ある日のこと、ひとりでいたマギーに星野監督が歩み寄り、英語でこう言った。

「お前たちの話していることは、全部わかっているんだぞ(笑)」

 あまりにも完璧な発音だったので、マギーは驚いた。それまでビジネスライクな会話しかしてこなかったが、このとき初めて、マギーは星野監督の本音に触れたような気がした。選手やメディアの前では、英語ができないフリをしていたが、実際は流暢な英語を話す。このことは、ふたりだけの秘密になった。

 なによりマギーが星野監督を尊敬していたのは、オンとオフの切り替えのうまさだった。試合中は勝つことに全力を注ぎ、ものすごい闘争心で相手にぶつかるが、それ以外のときは優しく、いつも人に気を配る。誰も見ていないところでの星野監督の温かさに、マギーは心惹かれていった。

 そうしてマギーと星野監督は確かな信頼関係を築いていった。それはマギーが試合に出場した「144」という数字が物語っている。マギー自身、キャリアのなかでシーズン全試合に出場したのは初めての経験だった。その思いに応えるように、マギーはキャリアハイとなる28本塁打をマーク。チームの優勝に大きく貢献した。

 またマギーは、人間性だけじゃなく、監督としての手腕にも一目置いていた。新人の則本昂大を開幕投手に指名したことをはじめ、ブルペンの使い方、選手起用法など、面白いようにはまった。マギーは言う。

「普通に考えれば、私とA・Jを3、4番に置くと思うんです。でも星野監督は当時まだ売り出し中の銀次を早い段階で3番に起用し、打線は一気に機能し始めました。そうした発想はどこから出てきたのか、本当に頭のいい人だなって……」

 日本シリーズでも星野監督ならではの戦い方に、マギーは感動した。なかでも印象に残っているのが第7戦だ。

 その前日、勝てば日本一が決まる楽天はエース・田中将大がマウンドに上がり、160球の熱投を見せるも、2-4で敗れて逆王手をかけられてしまう。この年、田中はシーズン24連勝をマークし、日本シリーズでも第2戦に先発して勝ちを収めていた。田中のロッカーはマギーとA・Jの横にあり、ふたりはそれまで彼の負けた姿を一度も見たことがなかった。

 そして第7戦の試合前。マギーとA・Jはどんな様子で田中がロッカールームに現れるのか注目していると、登板日と同じように、静かで集中力が高まっている表情で入ってきた。マギーが振り返る。

「とにかく私たちは、負けた翌日の田中を知らない。だからその表情を見て、いつもこんな感じなのか、それとも今日投げるからのか、まったくわかりませんでした。とはいえ、前日に完投して160球も投げているピッチャーが、翌日も登板するなんて想像できない。A・Jと目を合わせて、『まさか投げないよな……』と言ったことは覚えています」

 試合は楽天の3点リードで9回を迎えた。すると、球場に田中の登場曲が流れ始めた。そのときマギーはこんなことを思っていたという。

「もし星野監督が田中と同じ状況だったら、絶対にマウンドに上がっていたと思います。星野監督と田中がどんな会話をしたのかはわかりませんが、私はあの終わり方は星野監督流だと感じました。星野監督しかできない試合、それが日本シリーズの第7戦でした」

 あれから5年が経ち、星野監督もこの世にいない。それでもマギーの記憶の中から星野監督と戦った2013年の激闘は消えることはない。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180521-00010002-sportiva-base