1: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:18:54.65 ID:wuVenIJWd

引用元: 600試合登板、楽天・青山を救った星野仙一の「稼ぎたくないんかい!」。

2: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:19:12.12 ID:wuVenIJWd
 プロ野球83年の歴史のなかで、わずか41人しか成し得ていない通算600試合登板。プロ14年目の青山浩二は、今年、楽天で初めてその大台に到達した。

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 記録を樹立したのは8月14日だった。

 ソフトバンクに3-11と大差をつけられていた7回のマウンドを託され、相手を三者凡退で退けたものの、チームが大敗したこともあって試合後の青山の口数は少なかった。

 「やっと達成できたという気持ちです。素直に嬉しい。600登板は、自分らしく『どこでも投げる』という気持ちで積み重ねてきた結果だと思います」

3: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:19:27.45 ID:wuVenIJWd
 だから後日、改めて訪ねた。

 ――600登板を達成したことの意味をどう考えているか? 

 青山が察してくれる。あのコメントじゃ物足りないんだろうな――と。そして、「嬉しい」の先の感情を紡ぎ出してくれた。

 「小さい頃からプロになりたくて野球を続けてきて、プロになってからは『1年でも長く現役でやりたい』と考えながらやってきた結果なのかな、と思いますね。自分、積み重ねが好きなんですよ。それが、ああやって数字にも残ってくれると嬉しいですよね」

14年のキャリアに影響を与えた3人。

 積み重ねの価値は、青山がこれまでたどってきた道にある。

 それは単に、練習を積み、登板を重ねてきただけのものではない。艱難辛苦の過程で指導者や先輩たちの助けによって、ギリギリのところで踏みとどまってきた、深い足跡だ。

 青山の14年のプロ野球生活において、多大な影響をもたらした人物は主に3人いる。

 まず、彼が脱皮するきっかけを与えてくれたのが、2011年に監督となり、2013年には楽天を球団初の日本一へ導いた星野仙一である。

 球団創設2年目に入団した青山は、当時から能力の高さを評価されていた。1年目から42試合に登板するなど早くから一軍の戦力となったが、防御率5.89が示すように高いレベルの投球を披露できていたとは言えない。

4: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:19:42.45 ID:wuVenIJWd
星野に凄まれ、覚悟を決める。

 若手時代の青山は、一部で「ブルペンエース」と呼ばれていた。

 ブルペンでは一級品のボールを投じるが、ひとたびマウンドに上がると、それが幻だったかのようなパフォーマンスへと低下してしまう――そんな登板が少なくなかったからだ。

 あはは。今の青山が少し苦笑を浮かべる。「そんな言われ方もあったかもしれないですね」と、当時の自分を回想する。

 「メンタルの弱さもそうですし、技術も含めて一軍で戦えるものがなかったってことですよね。実際、星野さんが監督になられるまでは『一軍で投げられればいいや』くらいの気持ちでしたから。それくらい意識が低かったってことでしょうね」

 そんな青山が、'11年に監督となった星野に守護神への転向を命じられた。

 抑えか……と、いまいち状況を把握しきれていないなか、星野に凄まれる。

 「もっと稼ぎたくないんかい!」

 シンプルな言葉が、青山の胸に刺さる。「1年でも長く現役で」と、ぼんやりと将来を思い描いていた青山のビジョンが明確になる。

 「純粋に『稼ぎたい! 』って思えましたよね。そこから抑えとか勝ちパターンで投げさせてもらうようになって、ますます『先発の勝ち星やバッターの決勝打を消せない』と、自分の役割にこだわるようになりました」

5: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:20:15.39 ID:wuVenIJWd
年俸も1億円を超え、順調だったが。

 今では青山の代名詞であるスライダーを、より切れ味鋭く磨くようになったのもちょうどこの時期である。'12年に本格的に守護神となり22セーブを挙げ、自己最多の61試合に投げた。
翌年も2年連続で60試合登板、11セーブと楽天救援陣の屋台骨を支え、日本一の足場を固めた。

 年俸も一流プレーヤーの証とも呼ばれる1億円に達し(推定)、試合では勝利の方程式を担えている。キャリアと実績。双方の循環がよければ「このままやっていける」と錯覚に陥るケースも珍しくはない。

 しかし、この年に30歳を迎えた青山はそうならなかった。

斎藤隆に諭されフォームもケアも作り直し。

 「もう一度、体を作り直そう」

 新たな試みに挑戦しようとしていたのだ。その決意を促したのが、'13年にメジャーリーグから楽天に移籍してきた斎藤隆だった。

 青山が大ベテランから諭される。

 「30を過ぎると、本当に体力の衰えが早く感じる。5年、10年後を見据えて、今からトレーニングを積んでおいたほうがいい」

 その作業は徹底していた。怪我のリスクを軽減するための投球フォーム作りから着手し、練習でもショートダッシュを多く取り入れアジリティの強化にも努めた。
さらには、「ウォーミングアップからしっかり体を動かせるように」と、ナイターでも午前中から球場入りし、体のケアを入念に行うようにもなった。

 言うなれば、青山はそれまでの自分をリセットしたわけだ。

 とはいえ、彼は勝ちゲームを託された投手である。いくら実績があるからといって、ゼロから自分を仕上げながら職務を全うすることは容易ではない。
'14年から打たれる試合も目立つようになり、'16年には50試合に投げながら防御率4.83と、キャリアワーストに近い成績に終わった。

 「ブルペンエース」と揶揄され、ポテンシャルを解放しきれていなかった若手時代とは違う風評が漂う。「限界説」だ。

6: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:20:37.33 ID:wuVenIJWd
「嫌味な挨拶でもしてやろうか?」

 それでも、青山の根幹はブレなかった。

 「パフォーマンスとか成績に起伏は出てきましたけど、『体力は衰えてもボールは衰えさせない』ってところを求めて続けてきたんでね。そこは信じてやるしかなかったです」
 初志貫徹を誓ったとはいえ、若手の台頭もありチーム内での序列が下がっていく。そういった現状に納得していたわけではない。

 '17年のことだ。2度の二軍落ちから一軍昇格を告げられた青山は、半ば腐っていた。自分の立ち位置、昇格後の役割が明確化されていない状況でマウンドに上がったところでモチベーションが上がらないのだと、当時の平石洋介二軍監督に本音をぶちまけた。

 心にぽっかりと穴が開いていたような青山が、平石に尻を叩かれる。

 「『どこでも投げます! 』って言って、投げてこい!!」

 その言葉に、青山は煮え切らない自分を認識し、腹をくくることができた。当時抱いていた本音を打ち明ける。

 「正直、二軍の落とされ方もよくわからなかったんで、一軍に上がったら『嫌味な挨拶でもしてやろうか? 』くらい考えていたんですよ(笑)。
でも、平石監督に『どこでも投げろ』と言っていただいて。自分で言葉を発している以上は責任を持たないといけないというか、文句も言えないから。そこで吹っ切れたっていうのはありますね」

8: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:20:57.43 ID:wuVenIJWd
「コーチに気を遣われる選手になってはダメ」

 それにしても、「どこでも投げますって言ってこい」は、額面だけで受け取ればシンプルすぎる。だが、それを平石がストレートに言い放ってくれたからこそ、青山には響いた。

 平石が深謀をこのように説く。

 「一番は、コーチ陣に気を遣われるような選手になっては絶対にダメだということですね。僕個人の気持ちとしては、浩二とは現役時代も一緒にやっていましたし、彼の性格もわかっているつもりなんで。

 勝ちゲームで投げていた自分が投げられていないもどかしさ、年齢とかいろんな葛藤があったと思うんですよ。でもね、浩二のような実績と経験のあるピッチャーが『僕はどんな展開でも投げます』と言ってくれるほど、現場としてありがたいものはないんです。
だから、そういう気構えでいてほしいっていうのと、一軍に上がる以上は中途半端な気持ちでいてもらいたくなかったんで、そう言ったんですけどね」

 青山は8月25日に3度目の一軍昇格を果たしてから10試合に投げ、1点も奪われなかった。そして、シーズン最後の登板で、通算500試合出場を達成した。

9: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:21:12.61 ID:wuVenIJWd
導いてくれた先人に感謝、感謝。

 この時34歳。一時は戦力外になるのではと危機感を抱いていた青山は、再びチャンスを与えられた。背水の中堅右腕にリベンジのチャンスを与えてくれたのが、監督時代にプロとしての自覚を植え付けてくれた、球団副会長の星野だった。

 星野、斎藤、平石。プロ野球人生の十字路では、いつも先人たちが光を灯し、導いてくれた。感謝、感謝。青山はそう繰り返す。

 「星野さんはもちろんですけど、本当にいろんな人たちにいいタイミングで支えていただきましたね。500試合あたりから『成長できているな』って実感できてますもん。

 いかに後悔なくできるか? って考えながら、試合になればただがむしゃらに投げて……その積み重ねで今まで来ているのかなって」

36歳で、60試合登板を再び達成。

 '18年になると、30歳から取り組んできたトレーニングが実を結ぶ。「ハマってきた」。そう手応えを抱く青山は、この年、勝ちゲームを託され52試合で防御率1.85と、限界説を吹き飛ばした。今年は勝ちゲーム、ビハインド、ワンポイント……展開を選ばず、自身の掲げる通りどこでも投げ、4年ぶりに60試合登板を果たした。

 どこでも投げる36歳。

 目標は今も「1年でも長く現役でいる」こと。歴代でも16人しか到達していない700試合登板に関しては、「投げているうちに近づければいい」と見据える程度だ。

 「なんか、野球選手としていろんなものを積み重ねていくことで、人としても前に進んでいるんですよね」

 青山がそう言って、恥ずかしそうに間を置く。そして、ニヤッと口角を上げてボソッと漏らす。

 「……多分(笑)」

10: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:21:48.21 ID:wuVenIJWd
no title

8月14日のソフトバンク戦で1回を無失点に抑え、通算600試合登板に華を添えた楽天・青山

12: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:24:12.59 ID:gVK5AuLV0
将来的には投手コーチかな

13: 風吹けば狗鷲 2019/09/26(木) 14:25:06.19 ID:/WwnSMioa
小山青山片山