狗鷲タイムス

楽天イーグルスを中心に管理人が気に入ったスレをまとめるブログです

    スピーチ

     楽天の聖沢諒外野手(33)が23日、楽天生命パークで行われたファン感謝祭で引退を発表し、ファンに惜別スピーチを行った。今季の出場は27試合止まりで、10月に戦力外通告を受けていた。スピーチ全文は以下の通り。

     まずはじめに、このような機会を与えてくれた、球団関係者の皆様ありがとうございます。そして寒い中、最後まで残って頂いたファンの皆様、選手の皆さん、本当にありがとうございます。皆さんに報告があります。私、聖沢諒は11年間のプロ野球生活にピリオドを打ち、引退することを決意しましたので、報告させてください。

     周りの人からは「まだまだ出来る」、「もっとプレーが見たい」と戦力外を受けてから、たくさんのありがたい言葉を頂きましたが、自分の中で今年成績を残せなかった、それが全てで、引退することを決めました。

     プロ1年目。自分はプロ野球のレベルの高さを肌で感じ、長くはこの世界でやっていけない、そう思いました。ただ、終わってみるとレギュラーを獲得したり、盗塁王を獲得したり、チームが日本一になったり、たくさんの素晴らしい経験をさせて頂くことができました。あの日本一になった11月3日は、僕の誕生日でもあります。最高の誕生日になったことを、今でも鮮明に覚えています。

     楽しい思い出もたくさんありますが、苦しい思い出の方が多かったかも知れません。しかしそんな苦しい時に、ファンの皆さんからの声援が、僕のことを後押ししてくれ、なんとか11年もこの世界で生きていくことが出来ました。僕が大事にしている言葉に「使命感」という言葉があります。誰かのために働く人間は強い、そんな意味です。自分のため、そんなわがままな考えだったら、こんなに長くこの世界でやっていけなかったと思います。家族のため、両親のため、友人のため、チームのため、ファンの皆さんのために、と思って来たからこそ、ここまで続けることが出来ました。

     名球会の先輩方の成績に比べたら、僕の成績なんて、たいしたことありません。ただ、プロに入って1軍で1試合でも出られるのかなと、不安だったあの頃を思い出すと、1000試合も皆さんの前でプレーすることが出来ました。自分自身の技術を120%以上発揮し、悔いなく終わることが出来ます。

     今日は両親、友人、地元・長野からの仲間、妻、息子、息子の友達までかけつけてくれています。時には僕が成績を残せないことで、僕以上に苦しんだり、落ち込んだりさせたことがあったと思います。11年間プレーできたことで、それが恩返しになったか分かりませんが、皆さんのおかげでここまでやって来ることが出来ました。そして何よりファンの皆様が11年間いいときも、悪いときも支えて応援してくれたからこそ、今の自分があります。本当に皆さん、11年間ありがとうございました。
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181123-00000140-sph-base

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    4月29日の本拠地開幕戦でも嶋はスピーチ。「絶対に見せましょう、東北の底力を」

     西日本豪雨により多くの人が亡くなり、いまなお、たくさん人が苦しんでいる。

     大きな災害が起きた後、いつも思う。
     プロ野球はどうあるべきか、何をすべきなのだろう、と。

     創刊60年を迎えた週べの歴史を球団別に紹介していく企画。7月は30日発売予定で「東北楽天ゴールデンイーグルス編」を制作している。

     その中で見つけた2011年の記事を加筆、修正し掲載する。

     我々、プロ野球に携わるものみなが忘れてはならない記憶だと思う。

     2011年、楽天にとって特別な試合が用意されていた。
     球団創設7年目で初となる、本拠地での開幕戦だ。
     だが、3月11日、未曽有の大震災が東日本を襲う──。

     本拠地球場がある仙台、そして東北各地に甚大な被害をもたらし、日本中が動揺し、悲しみに包まれた。当然ながら混乱は、開幕を2週間後に控えていたプロ野球にも及んだ。
     
     このとき、セ、パで意見が食い違った。開幕の予定は3月25日のセ・パ同時開催だったが、3月17日には、パが4月12日に延期、セは従来どおりの3月25日の開幕と決定された。

     セの決定には、各所に批判の声が殺到。選手会も開幕延期を要望する声明文を提出し、NPBの監督官庁である文科省も再考をうながした。

     セは一度、29日に延期したのち、再びの反対を受け、ようやく「4月12日セ・パ同時開幕」が決定。新井貴浩(当時阪神)プロ野球選手会会長は「選手会の声、ファンの声がようやく届いた」と涙を浮かべながら語った。 

     当時、楽天の選手の心は大きく揺れ動いていた。
     震災から2日後、巨人の室内練習場で練習。そこで主将の鉄平が心情を吐露した。

    「やっぱり仙台、宮城、東北の方々が心配でなりません。家族もそこにいますから、正直、練習に100パーセント集中はできていません」
     選手会長・嶋基宏の「野球をするよりも、1日でも早く被災地に行って、がれきの一つでも片づけたい」も本音だろう。

     安全面を考慮され、約1カ月続くことになった遠征の間、選手からは「早く戻りたい」の声が続出し、話し合いが深夜に及ぶことも多かったという。
     それでも「帰れないのなら、いまできることをやろう」と、先々で義捐金を募り、物資を被災地へ送った。

     選手が懇願し続けていた帰仙がかなったのは4月7日だった。
     翌日には避難所を訪れ、「遅くなって申し訳ありません」と頭を下げた。

     小学校を訪問した田中将大は、選手の訪問に喜ぶ子どもたちとの間に割り込み、邪魔するような形となった報道陣に対し、「僕たちは、そのために来たんじゃないです」と声を荒げた。

     田中は、避難所で過ごす人たちの強さ、温かさを目の当たりにし、逆に勇気づけられ、あらためて思ったという。「これから、みんなと一緒に戦っていきたい」と……。

     そして4月29日、Kスタ宮城で初めての試合。2万人超の大観衆が声援を送った。
     先発し、完投勝利を飾った田中は「終わってしまうのが、もったいないくらいの声援だった」と振り返った。
     
     いま思えば、開催日をめぐる騒動は、プロ野球と被災者、さらに多くの野球ファンとの距離を確実に広げるものだった。
     にもかかわらず、当時、そのことに気づいていない関係者がたくさんいた。

     当時は、本当にいろいろなことがあった。それらを単純化し、一部だけを美化しようというわけではない。

     ただ、この球界の危機を救った大きな要因が、4月2日、チャリティーマッチとして札幌ドームで行われた日本ハム戦での嶋のスピーチ、言葉の力だったと思う。

     楽天・星野仙一監督は「聞いていて涙がこみ上げてきた」と真っ赤な目で言った。

     全文をあらためて掲載しよう。

     あの大災害、本当にあったことなのか、今でも信じられません。

     僕たちの本拠地であり、住んでいる仙台、東北が今回の地震、津波によって大きな被害を受けました。地震が起きたとき、僕らは兵庫県で試合をしていました。家がある仙台にはもう1カ月も帰れず、横浜、名古屋、神戸、博多、そしてこの札幌など、全国各地を転々としています。

     先日、私たちが神戸で募金活動をしたときに、「前は私たちが助けられたから、今度は私たちが助ける」と声をかけてくださった方がいました。

     いま日本中が東北をはじめとして、震災に遭われた方を応援し、みんなで支え合おうとしています。地震が起きてから眠れない夜を過ごしましたが、選手みんなで「自分たちに何ができるか」「自分たちは何をすべきか」を議論し、考え抜きました。

     いまスポーツの域を超えた「野球の真価」が問われています。

     見せましょう、野球の底力を。
     見せましょう、野球選手の底力を。
     見せましょう、野球ファンの底力を。
     ともに頑張ろう東北! 支え合おうニッポン!

     僕たちは野球の底力を信じて、精いっぱいプレーします。被災地のために、ご協力をお願いいたします

    1: 風吹けば狗鷲 2016/10/04(火) 11:03:20.32 ID:AIZQ1I/40
    <楽天 栗原健太引退>可能性信じ駆けた1年
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161004-00000002-khks-spo
     <この地で この地で 終わらせる意味を探し求め また歩き始める>

     登場曲として選んだサカナクションの「アルクアラウンド」の一節。

    球場で最後に流れたのは9月24日、イースタン・リーグのヤクルト戦(利府)になった。
    「4番・一塁」で先発し、セ・リーグでしのぎを削った館山昌平投手と向き合った。
    1打席目は10球粘った末に中飛、2打席目は三ゴロに倒れた。
    ベンチに戻りながら「今までありがとうございました」とつぶやき、球場に別れを告げた。

    この日のため、広島に残してきた娘たちを呼び寄せた。
    「プレーしている姿を目に焼き付けてもらいたかった」。

    スピーチも、胴上げもない「引退試合」だった。
    no title

    3: 風吹けば狗鷲 2016/10/04(火) 11:03:42.24 ID:AIZQ1I/40
    広島で出場機会を得られず、自らの可能性を信じて東北楽天へ来た。

    「練習の量、取り組む姿勢はカープでやってきたことを変えなかった」。
    泉練習場(仙台市)に午前6時台に一番乗り。
    春先に痛めた右脚の温浴やストレッチを入念にし、10時の練習開始に全力で動き出せるよう準備した。

    原体験になったのは2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。
    ロッカーが隣になったイチロー外野手に感銘を受けた。
    栄養ドリンクを飲む、スパイクを磨く、といった試合前のルーティンを分刻みでこなしていた。

    当時27歳の栗原が超一流選手に学んだように、東北楽天の若手は栗原に熱い視線を送った。
    新人の山田大樹内野手は「栗原さんのような強打者になりたいと思い、いろいろと質問した。
    技術的なことも心構えも教わった」と感謝する。

    引用元: 楽天・栗原健太(34) スピーチも、胴上げもない「引退試合」 

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    1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 投稿日:2015/10/28(水) 21:14:50.29 ID:NjqOwRmP0.n
    今や打率もそこまで良いわけじゃない
    肩も良いわけじゃない
    でもパの中じゃトップクラスの人気がある
    なんで?
    野球に詳しい人説明頼む
    no title

    引用元: 嶋って何が凄いの? 

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    1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/10/06(火) 23:00:51.83 ID:4NJdEObn0.net
    ファーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


     ◇パ・リーグ 楽天3―9ロッテ(2015年10月6日 コボスタ宮城)

     今季限りでの辞任を表明している楽天の大久保博元監督(48)が今季シーズン最終戦後にあいさつし、自身の去就について「歌舞伎町で居酒屋のおやじをやろうと思っている。みなさんぜひ来てください」と仰天表明した。

     就任1年目ながら最下位に終わり、辞任を決断。指揮官は「この成績は全て私の責任です。きょうもマウンドが上がるとき、皆さんから“もう辞めろ”と言われてアレ、もう辞めたんだけどなと思いながらいましたけど…」と自虐的にあいさつ。

     そして最後に「今後はですね。投資がうまくいけば歌舞伎町で居酒屋のおやじをやろうと思っています。是非、歌舞伎町にお越しの際はお寄りください。本当に4年間ありがとうございました」と別れを告げた。

    引用元: 【速報】デーブ、歌舞伎町に店を出す

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