狗鷲タイムス

楽天イーグルスを中心に管理人が気に入ったスレをまとめるブログです

    引退

    1: 風吹けば狗鷲 2017/02/09(木)14:37:48 ID:SfW
    ハム 福島秀喜(1975年ドラフト1位、1978年現役引退)
    福岡 荒川雄太(2005年高校ドラフト1位、2012年現役引退)
    千葉 柳田将利(2005年高校ドラフト1位、2008年現役引退)
    西武 安藤正則(1997年ドラフト1位、2002年現役引退)
    楽天 寺田龍平(2007年高校ドラフト1位、2011年現役引退)
    オリ 甲斐拓哉(2008年ドラフト1位、2012年現役引退)

    広島 栗田聡(1986年ドラフト1位、1991年現役引退)
    巨人 松本竜也(2011年ドラフト1位、2015年球界追放)
    横浜 北方悠誠(2011年ドラフト1位、2015年現役引退)
    阪神 安達智次郎(1992年ドラフト1位、1999年現役引退)
    ヤク 川上竜平(2011年ドラフト1位、2016年現役引退)
    中日 樋口龍美(2004年ドラフト自由枠、2007年現役引退)


    2011年多すぎィ!

    引用元: 12球団最後の一軍出場無しで引退したドラ1wwwww

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    1: 風吹けば狗鷲 2017/02/05(日) 13:25:07.32 ID:d32Qkrjn0
    兄貴は復活できたのになぁ

    7: 風吹けば狗鷲 2017/02/05(日) 13:27:04.12 ID:d32Qkrjn0
    ソース
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170205-01774708-nksports-base

    BCリーグ福島ホープスを退団した貴規外野手(24)が現役引退を宣言したことが4日、分かった。
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     自身のブログを同日更新し「野球でプロに復帰することを卒業しました…。卒業と言ったら、奇麗事にしか聞こえないかもしれません。だけど、僕の中で本気で悩み、考えついた答えがこれでした」と書き込んだ。昨年に3度目のトライアウトを受験するも声がかからず、福島を任意引退で退団。プロ復帰の道を模索していたが、一区切りをつけた模様だ。

     同ブログでは、精神的な原因などで送球動作に支障をきたす「イップス」に、中学の頃から苦しめられていたことを明かした。10年には兄由規投手(27)の背中を追ってヤクルトに育成枠で入団。利き腕とは逆の左腕で投げる練習にも取り組んだが、送球面の不安が解消されず14年に戦力外通告を受けた。その後は福島で2年連続打率3割以上をマークするも、プロ復帰は実現しなかった。

     現在はアルバイトをしながら就職活動に取り組んでいる。ブログを通じて「野球で稼げなかった分、次に絶対に稼いでその仕事で胸を張れるようにするんだ!」と前向きに宣言。社会人としての第1歩を踏み出そうとしている。

    引用元: 【悲報】貴規引退

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    1: 風吹けば狗鷲 2017/01/10(火) 17:04:02.19 ID:nXAaq7KO0
    Full-Count 1/10(火) 16:19配信
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    営業本部に転身となる長谷部康平【写真提供:東北楽天ゴールデンイーグルス】

    川井氏は打撃投手、後藤&牧田はスクール部で採用
     楽天は10日、元選手の新規採用を行ったことを発表した。昨季限りで現役引退した川井貴志氏が打撃投手(兼チーム戦略室戦略R&Dグループ)、後藤光尊氏がスクール部ベースボールグループ、牧田明久氏がスクール部ベースボールグループ、長谷部康平氏が営業本部営業第二部営業第二グループで採用となった。

     川井氏は06年のシーズン途中にロッテからトレードで楽天に移籍し、主にローテの谷間や怪我人が出た際に先発として穴を埋めた。プロ通算307試合に登板し、28勝36敗、防御率4.51だった。
    また、オリックスで12シーズンにわたってプレーした後藤氏は12年に1000試合出場、1000安打を達成し、13年オフに鉄平との交換トレードで楽天へ移籍。プロ15年で通算1361試合出場、打率.269、95本塁打、476打点の成績を残した。

     牧田氏は04年オフの選手分配ドラフトで近鉄から楽天入りし、プロ16年で通算691試合に出場し、打率.253、23本塁打、150打点を記録。楽天の球団創設から所属する最後の現役選手だった。
    また、異例の営業転身となった長谷部氏は、07年の北京五輪予選で唯一のアマチュアとして日本代表入りし、同年の大学生・社会人ドラフトで5球団が競合。抽選の末に楽天に入団した。プロ9年で通算110試合に登板し、11勝19敗3セーブ11ホールド、防御率5.37だった。

    引用元: 楽天、昨季限りで引退の4選手を新規採用 5球団競合左腕は異例の営業転身

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    1: 風吹けば狗鷲 2017/01/07(土) 15:25:44.43 ID:gZJoJ4PR0
    日刊スポーツ 1/7(土) 10:57配信

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    引退セレモニーでファンにあいさつする牧田
    <さよならプロ野球:楽天牧田明久外野手>

     最後まで、楽天一筋を貫いた。仙台に冬の便りが届き始めた11月中旬。国内最後の楽天創設時メンバーだった牧田明久外野手(34)が、ユニホームを脱ぐ決断を下した。

     10月23日に球団から来季の構想外を伝えられ、熟慮の末に現役引退の道を選んだ。「僕はこの球団が好きなんです。最後まで楽天で終わりたかったし、家族も仙台の街を気に入っている。どうしても、他のチームでプレーすることは考えられませんでした」。心の奥底の声に従った。

     16年は16試合という限られた出場数ながら、打率3割5分5厘の成績を残した。他球団でプレーする選択肢もあった。それでも、自分を飛躍させてくれた球団への思いが挑戦を思いとどまらせた。
    「楽天1年目の05年は本当に何もないところからのスタートでした。それが日本一まで経験させてもらい、球場も大きくなって、こんなにファンも増えた」。体が動かなくなるまで選手を全うしたい気持ちはあった。その一方で、体が動くうちに球団に何かを還元したいとも考えていた。そんな中に、野球少年を教えるジュニアコーチ職のオファーを受けた。

     自分を支えてくれた2人の娘と妻に、恩返しがしたかった。「他球団で挑戦しようと考えたこともありますけど、やはり僕は家族のそばにいたかった」。
    遠征で家を空ける事の多かった現役時代、心の支えは娘2人からの手紙や電話だった。穏やかな人柄と優しさで後輩から慕われた牧田らしく、周囲への感謝が現役を引退する決め手となった。

     楽天創設時メンバーであると同時に、現役では残り少ない元近鉄戦士でもあった。「こんなに長くできるとは思っていなかった。近鉄と楽天では梨田監督に野村監督、星野監督と、名将の下で学ばせていただきました。これからの人生に、しっかり生かしていきたいです」。16年間に及んだ選手生活で得たものを、第2の野球人生で伝えていく。【16年楽天担当=松本岳志】

    3: 風吹けば狗鷲 2017/01/07(土) 15:26:06.84 ID:gZJoJ4PR0

    引用元: 楽天創設メンバー牧田はジュニアコーチで第2の人生 

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    1: 風吹けば狗鷲 2016/12/28(水) 16:08:06.81 ID:Ypx6eDVx0
     【球界ここだけの話】

     いぶし銀なプレーヤーだった。堅実な守備と強肩、パンチ力ある打撃。楽天・牧田明久外野手(34)が今季限りでの現役引退を決めた。

     「僕がそんな、上座になんて座れません。ここでいいです」

     ある食事の席でのこと。3人だけのささやかな夕食だった。牧田以外の2人が、本人を激励しようと設けた一席。当然“主賓”のために上座を空けていた。ところが、牧田は頑としてそれを受け入れなかったそうだ。

     「僕はいつもそうなんです。本当に、いいんです」

     鍋料理店の個室で4人スペースの掘りごたつの座敷。奥の壁側に牧田を座らせようとしたが、そこを避ける。野球選手なら食事会に招待され、もてなされることが“普通”なのだろうが、遠慮に遠慮を重ねる姿に同席した人は驚いたという。

     「こんな僕が、よくプロの世界でやってこれましたよね」

     謙虚で実直だった。そして、地味で口ベタだった。でも、それが牧田らしさであり、よさだと思った。目立つことが苦手で、どこまでも控えめな性格。だが、ひたむきに野球に取り組んだ。

     「(2013年の巨人との)日本シリーズにもスタメンで出場できて、本塁打も打てて、日本一にもなれた。恵まれていますよね。精いっぱいやって、やり残したことはないかな…」

     今季はわずか16試合の出場。オフに戦力外通告を受けた。

     「まだまだ、やれる自信はあります。でも(他球団へ移籍して)単身でやりたくない。子供の側にいたいんです」

     悩んで、引き際を決めた。妻と2人のまな娘と暮らす仙台に愛着があり、2005年の創設当時から“生え抜き”として所属した球団に感謝があった。

     今後は楽天のジュニアコーチとして少年少女に野球を教えるという。「食事の席では上座に座るんじゃないぞ」-。そんな教えはしないだろう。だが、牧田が指導者になれば、それに似た精神を持った子供たちが育ちそうな気がする。(山田結軌)

    2: 風吹けば狗鷲 2016/12/28(水) 16:08:56.18 ID:Ypx6eDVx0
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    日本シリーズ第7戦 楽天-巨人 4回、本塁打を放つ楽天・牧田=2013年11月3日、コボスタ宮城(写真:サンケイスポーツ)

    引用元: 楽天創設メンバーの牧田が引退…いぶし銀な男は主賓でも上座に座らない 

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    1: 風吹けば狗鷲 2016/12/27(火) 21:48:57.38 ID:q+CHwQCH0
     東北楽天が創設された2005年度から在籍する最後の選手だった牧田明久外野手(34)が、今季限りで現役を引退した。経営難の近鉄がオリックスとの合併を発表したことに端を発した球界再編問題により04年秋、近鉄から新球団に入った。
    施設も戦力も不十分だった黎明(れいめい)期から地道に力を付け、13年には日本シリーズで本塁打を放って球団初の日本一に貢献した。引退後も仙台に根を下ろす牧田の野球人生は、チームの歩みそのものとも言える。牧田の12年をたどり、東北楽天の歴史を重ね見る。(浦響子)

    ◎新天地へ/自分で希望した。後悔は全くない

     左胸に「楽天」のワッペンを貼り付けただけの、真っ白な急造ユニホーム。ズボンは選手の旧所属球団のもので、よく見れば脇に入るラインがまちまちだった。プロ選手らしからぬ格好にスタンドから「高校球児みたい」との声が飛んだ。
     2004年11月。東北楽天の秋季キャンプは藤井寺球場(大阪府藤井寺市)で行われた。近鉄とオリックスの合併に伴い誕生した新球団の最初の一歩。参加選手40人は、分配ドラフトで存続するオリックス側のプロテクト(優先保有)から漏れた両球団の選手だ。新天地・仙台で野球人生の「逆転劇」を期して、静かに闘志を燃やしていた。
     当時22歳の牧田もその一人だった。
     高卒4年目。福井・鯖江高から近鉄入りしたが、1軍未出場。外野の選手層は厚く、1軍で活躍する将来像が見えなかった。分配ドラフト前の希望調査では、迷わず新球団移籍と答えた。
     「楽天の方がチャンスがあるはず」。不安より、プロとしての野心が勝った。
     半世紀ぶりに誕生した新球団。練習環境など、想像以上の過酷な状況も、乗り越えた。
     最も難儀したのが、仙台市内の自宅から当時の2軍本拠地だった山形県内への移動だ。夏まで球団の直通バスがなく、仙台-山形間の高速バスなど3本を乗り継いで往復した。試合が午後開始でも出発は午前6時。帰りは夜遅くになった。
     2軍の練習場、天童市の山形県総合運動公園野球場ではロッカールームがプレハブ小屋で、練習後の体をケアするトレーナー室もなく、野外で行った。
    極め付きはシャワーで、一般利用者が使う公衆のコイン式シャワーに毎回100円玉を入れて汗を流した。「プロの環境ではなかった。それでも、自分で希望して来た所だから後悔は全くなかった」
     狙い通り、チャンスは1年目から訪れた。1軍は大型連敗を繰り返し、8月には単独最下位が確定。若手に出場機会が与えられ、牧田は7月に1軍デビュー。この年、13試合に出場し、プロ生活の実質的なスタートを切った。
     それから11年。出場試合は691を重ね、気付けば最後の創設メンバーとしてファンに愛される選手となっていた。
     「(プロで)10年できるよう頑張る」と宣言して福井の実家を出た。「10年と言って16年やった。大したもんだ」。引退を決めた後、金型職人の父親からねぎらいのメールが届いた。
     「楽天に来なければ、こんなに長くできなかった」。12年前、仙台行きを決めた牧田の選択は吉と出た。

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    引用元: <楽天牧田明久>駆け抜けた12年 野心が支え

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    1: 風吹けば狗鷲 2016/12/24(土) 09:19:50.11 ID:YAROtpdNdEVE
    楽天の辛島航投手(24)、則本昂大投手(24)、中川大志(24)の3選手が2日、朝の声出しで決意を述べた。

    7年目を迎える辛島は「今年の目標は2桁勝つこと。2桁勝てなかったら野球を辞めます」と宣言。
    昨季、初の規定投球回に到達し、自己タイの8勝をマークした左腕は不退転の覚悟で7年目のシーズンに臨む。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150202-00000089-spnannex-base

    引用元: 楽天・辛島(24)「2桁勝てなかったら引退します」

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