1: 風吹けば狗鷲 2016/12/18(日) 13:02:52.36 ID:R1AsUTqm0
◇決断2016ユニホームを脱いだ男たち=楽天・栗原健太内野手(34)
すがすがしい笑顔だった。10月1日、コボスタ宮城で行われた引退会見。栗原はハキハキとした口調で引退理由を口にした。
「今年一年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、この辺が引き際かなと思った。自分の思うようなバッティングができなくなった」
99年ドラフト3位で広島に入団すると、球界を代表するスラッガーへと成長。09年には2連覇を達成した第2回WBCの日本代表メンバーにも名を連ねた。
しかし、チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたため、08、12、14年と3度の手術を余儀なくされた。ただ「一生懸命、試合や練習をした中でのケガ」と悔いはない。
「手術を決断した時は“この手術で良くなる”と思ってやる。ダメだったとしても後悔しないと決断して手術に臨んだ」と覚悟の上だった。
以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。
14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフ、自由契約を申し入れ、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた。だが、楽天でも1軍から声が掛かることはなく、ついにユニホームを脱いだ。
すがすがしい笑顔だった。10月1日、コボスタ宮城で行われた引退会見。栗原はハキハキとした口調で引退理由を口にした。
「今年一年が勝負という気持ちでやってきた。1軍の戦力になれず、この辺が引き際かなと思った。自分の思うようなバッティングができなくなった」
99年ドラフト3位で広島に入団すると、球界を代表するスラッガーへと成長。09年には2連覇を達成した第2回WBCの日本代表メンバーにも名を連ねた。
しかし、チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたため、08、12、14年と3度の手術を余儀なくされた。ただ「一生懸命、試合や練習をした中でのケガ」と悔いはない。
「手術を決断した時は“この手術で良くなる”と思ってやる。ダメだったとしても後悔しないと決断して手術に臨んだ」と覚悟の上だった。
以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。
14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフ、自由契約を申し入れ、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた。だが、楽天でも1軍から声が掛かることはなく、ついにユニホームを脱いだ。
引用元: ・【決断】楽天・栗原 東北での一年で芽生えた指導者の資質